2003~2020年度の川崎医科大学衛生学の記録 ➡ その後はウェブ版「雲心月性」です。
川崎医科大学 学報 編集後記 
2012年12月22日
秋が駆け足でやってきた頃に長島愛生園主催の「ハンセン病問題のこれからを考える国際シンポジウム」に一聴衆として参加してきました。

2004年度からの公衆衛生・予防医学系の授業の一環で,見学・実習を実施するにあたって,長島愛生園にも毎年(カリキュラム改革で一 年,抜けた年度がありましたが)伺わせていただいています。

今回のシンポジウムには,マレーシア,フィリピン,ブラジルそしてオーストラ リアから,研究者や支援者,さらに元収容患者さんなどが参加され,発言をされました。また会場には,パネル展示もありましたが,それは各 国(欧州,アフリカ,南北アメリカ,東南アジアなど余すところなく)の収容施設でしたが,すべて島! 

やはり,島に隔離という政策は世界 中で行われていたということが実感されました。

ブラジルからの元患者さん,そして収容を余儀なくされていらした方は,やはり人間として対 峙してほしい,ということを強く訴えられていました。

そして,今回のシンポジウムの特徴は,こうした収容所跡あるいは,日本ですと,解放 されてからも,行き場のない後遺症に苦しむ,そして高齢となった方々が,もうその場でしか生活を営めない場となっていますが,そういった 施設を遺産として残そうということも一つのテーマでした。

フィリピンでは,盛会遺産登録を目指す取組を遂行している大学院生の発表もあり ました。

勿論,人類の負の遺産ですが,アウシュビッツも原爆ドームもその通りで,二度と人類が犯した過ちを繰り返さないために,周知する ことの重要性を問うものなのです。

ただ,日本では収監取設を再建して,展示施設として残そうという動きもあるようですが,そこは少し微妙 な部分もありますね。

病気が元で,日常生活が損なわれたり,社会生活に不便が生じるのは,風邪を引いて欠席したりすることでも表れます。

しかし,疾病が元で,社会的弱者に貶められるかというと,それはあってはならないはずです。

しかし,ハンセン病は国の隔離政策,さらには それを推進した医師の存在などなどの問題も含めて如実に表れてきますが,環境保健の授業などをしていると,どんな場面でも類似の現象に, 講義の中で触れざるを得ない部分が出てきます。

水俣病もそうです。今年は,水俣病患者の支援に全力で生涯を捧げられた原田正純医師が逝去 された年でもありましたが,発病者が,部落の中で,漁民たちの中で,それに加えて市民の中で,複雑に絡み合う人間の赤裸々な感情と,利害 などに揺れ動かされる強欲の中で,虐げられたり,絶望の淵に追いやられたりしたことは,文学や映像,画像の中でもうかがい知れる部分があります。

水俣については,もう一つ,チッソが分社化し,もう補償を支払うべき会社がなくなってしまったこと,そして認定申請期限が今年の 9月末で終了してしまったこと。

これらも水俣病を語る中で,非常に大きな曲がり角であった2012年だったと感じられます。

財源に限度が あるとはいえ,分社化を認め,認定期限を設定した国という立場。僕らはそれらの事実から,それぞれに何かを感じてよいのではないでしょう か。

薬害AIDSもそうでした。そして,福島県からの罹災者が,転居した後で,子供たちが「放射能がうつる」とまで言われてしまっている こと(親が云っているから子供が云うのです),人間というのは,何も歴史からは学べないどうしようもない種なんだなぁと,嘆息しか出てき ません。

原発再稼働にしても,種々の問題が絡んでいる様です。

戦後,武力という礎を失った日本人は,経済力のみに国民全員の目標を向かわ せることで,国力を高めてきましたが,その間に,そして40年を経てからのアスベストによる中皮腫の問題,さて,今,医学医療の徒として の私たちは,何を感じ,何を考え,リアルタイムでその現場に居られない中でも,書物や映像などで自分たちの琴線に触れるものを,求めるこ とも必要なのでしょう。

冒頭で記したハンセン病のシンポジウムには,中四国の国際医療を考える医学生グループも120人近く参加し,その 後,午後には邑久光明園へ,そして翌日は長島愛生園の見学などをして過ごしたと聴きました。

iPS細胞の山中教授がノーベル賞を受賞され 医学医療分野の科学技術振興に国も積極的に資金を出す姿勢を見せていますが,山中先生がいつもインタビューなどで「疾病に苦しむ患者さん に役立つように」とおっしゃる姿は,本当に美しいと感じられます。


街ではそろそろジングルベルが囁くように,そして時には華やかに,恋人 たちを包み込んでいくのでしょう。

粉雪でもちらつけば,まさにホワイト・クリスマス,見つめ合う二人には,世界は,もうそこにしかないの かも知れません。

勿論,見つめれば愛,そして二人は心も体も抱きあい触れ合って,思いやり慈しむことに時間を費やしていくことでしょう。

ならば,すこしずつ,その愛を,慈しみを,健康に苦しむ人たちにも,注いでくれるなら。